「仕事が辛い」のはなんでだろう

 

突然ですが、あなたの仕事ってやってて辛いと思うかい?

どうも。精神が天へお召しになって、一旦休職し、最近復職した管理人です。

 

もし休職前の管理人が上記の質問をされたら、迷うことなく「Yes!!!!」って答えるね。イエス・キリストが天上で肩をビクッとさせるぐらい、それはもう元気に返答すると思います。

 

だってめちゃくちゃしんどかったし。

上司からの訳のわからないパワハラも、口出しだけして何もやらない同僚も、それでも仕事を動かして行かなければいけない状況も。

 

復職した今は別の部署に異動させてもらい、仕事が普通に楽しい。・・・いや、ここで感じる「楽しい」ってのも、前が苦しすぎて相対的に感じるものかもしれません。

「やべえ、家帰っても『仕事嫌すぎて死にたい』とか思ってない!!!すごい!!!!!」みたいにね、頭のネジの一つや二つ飛んでそうな「楽しい」です。

 

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朝仕事に行くタイミングにそう思うのならまだしも、仕事からの帰り道、解放された瞬間から鬱々としていましたからね。通勤中とか「ここで事故に遭えば、会社行かなくて済むんじゃない????名案すぎるやろ!!!」と思ったりしたし。・・・ちなみにその案は「あー、でも事故ったらスーツ汚れるわ」っていう合理的で狂気的な理由で却下されたあたり、自分の正気のなさが見て取れます。多分、スーツじゃなかったら、テンション上がった勢いで採用してた。

 

仕事ってしんどい。それはもう正気を失うレベルにはしんどい。

 

でも、今。

復職して仕事していて、ふと思ったんですよね。

あれ、なんで仕事って辛いんだろうって。

 

 

 

仕事はなぜ辛い?〜仕事の本質とは〜

仕事する意味って、人によっていろいろあると思います。

生活資金を得るためだとか。

家族を養うためだとか。

大富豪になるためだとか。

 

そこから考えると、仕事ってすごい多様な印象を得ます。

でもその本質ってたったひとつです。

 

仕事とは、世の中に役立つものを生み出すこと。

たったそれだけなんですよね。

 

ひとつの本質に対して、たくさんの意味をいろんな人が付ける。それは、頑張る理由をどこかに見出さないとやっていけなかったんじゃないかなって思ってしまうんです。

 

ケニー・アッカーマンだって言っています。

今なら奴のやったこと・・・わかる気がする

俺が見てきた奴ら・・・みんなそうだった

酒だったり、女だったり、神様だったりもする

みんな何かに酔っぱらってないとやってられなかったんだな

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たかがレンガを積むだけの作業にでも、何かしら意味を見出さないと、前に進めなかった。イソップ童話のレンガ職人も、空想上の物語でも、電車に乗り合わせるサラリーマンであっても同じです。

 

意味を見つけないと、酔わないと前に進めない。

でも結局それは自己暗示だから、管理人みたいに一旦立ち止まらざるを得なかった人間は一瞬で醒めてしまうんですよ。そして「あれ、自分は何の為に頑張ってたんだっけ??」って思うわけです。

 

ネガティブな見方かもしれないですけどね。でも「仕事」って奴は、その本質から離れて、意味をベタベタ貼ってでも、正当化しないことには続けられないものなんです。 

 

 

仕事がしんどい人に考えて欲しい〜仕事に求めるもの〜

ここでの結論を言ってしまうと「自分の付けた『意味』が重荷になって、みんな苦しんでるんじゃないの?」ってことです。

 

管理人は仕事の意味を「自分の力で生きていけるだけのスキルを手に入れること」と考えていました。

 

自分の実力をつけないといけない。

世の中っていうのは自分が思っているほど甘くないから。必要とされる人材にならないといけないから。

そうやって転職までしてスキルを得られる仕事を求めました。

 

今でもそれが間違っているとは思いません。これからの時代を少しでも楽に生きる為、置ける布石は少しでも増やしておくべきだと思います。無能より有能の方がいいじゃんっていうシンプルな理由もあります。

 

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でもこれって、他人から煽られた不安感が源だったんです。

よく聞くじゃないですか。「AIが台頭してきて仕事がなくなる」みたいな話。

 

それって転職ビジネスやってる業界の陰謀ですからね?いやまあ、確かに時代はそうシフトしていくのかもしれませんが。それでも広告主の文章に煽られて行動決めて、今の職場に転職し、ぶっ壊れた管理人は、側から見たらすごく残念な歩き方をしてたんじゃないかって今は思います。

耐えなければならぬと。今の延長線上に求めているものがあるのだと。ただひたすらにやってきて、退くに退けなくなり、故障しました。

 

まさに「意味に踊らされた」塩梅ですね。

 

途中で自分に言えばよかったんです。

「無理するな、それは自分が勝手に仕事に求めているだけのものだ」って。そこが本質ではないんだって。 

 

 

仕事がなぜ辛いのか、ちゃんと考えてみよう

結局、自分を一番苦しめていたものは、自分だったのかもしれません。

 

この道を歩いていれば正しいのだと、足りない頭で考えて、誰かの言葉を盲信して。

「仕事」を「辛いもの」にしたのは、自分が抱いた幻想です。確かに、休職する前の部署では、上司や同僚に恵まれませんでした。でもだったら、手離してしまったらよかったんですよ。世の中に価値を提供することは、ここじゃなくてもできたはずですから。

 

これは自分に言い聞かせる意味でも書きます。

「仕事」自体は別にしんどいものでも、辛いものでもないのだ、と。

 

そして、もう耐えられなくなる前に、自分に問いたいです。

今抱いている辛さやしんどさは、どこから来てるんだ?って。

 

山のてっぺんに岩を運ぶことで価値が生まれるなら、その道中を歩くしんどさは「仕事のため」のものでしょう。

でも「これが家族を養うためにやっている」と思ったら、それは自分が勝手に付けた「意味」です。家族を養うことが目的なら、他にも方法はある。そして、別の方法によって、今の辛さが軽減される可能性もある。それを頭の片隅に置いておくべきです。

 

甘えんなよ、仕事なんて苦しいもんだろうがよ。みたいなことを言う人もいるかもしれません。でも、気づいてください。それ自体も「仕事は苦しいものである」と言う誰かの刷り込みなのだと言うことを。

 

以上、管理人の失敗談でした。