過去の失敗を引きずってしまう人へ〜仕事のミスで落ち込んでいる人に考えてほしいこと〜

 

過去の失敗ってついつい引きずってしまいませんか?

つい最近のことから、物心ついていたかどうか怪しいぐらい昔のことまで。大勢の前でかいた赤っ恥から、大事な人の前でやらかした小さなミスまで。

 

どんな失敗かは様々ですが、自分でも不思議になるぐらい過去の失敗をずっしり引きずったままの管理人です。他人の前ではなるべく飄々としているよう努力はするけど、なかなか、ね。。

本当のところ、自分の中で折り合いがついていないことばかりです。

 

今日は、管理人と同じく「なんでこんなに引きずってしまうの?」って疑問思うあなたに向けて。その理由を考えてみました。

 

 

 

過去の失敗を引き摺ってしまう理由とは

失敗を引きずってしまう理由。それは過去に、何かしらに強い感情を抱いたからです。

 

怒りなのかもしれないし、悲しみなのかもしれない。羞恥心かもしれないし、はたまた言葉にできないレベルの混ざり合った代物なのかもしれません。 

とにかく、過去に強い感情を抱く何かが起こったんです。それがそのまま記憶に焼け付くように残った感じですね。

 

管理人はもう立派なアラサーなのですが、20年以上前の時の失敗をまだ引きずっています。その時の話をしましょう。

 

当時、管理人は保育園児でした。

その日、保育園の行事があり、母親と一緒に保育園にいました。滞りなく行事が終了し(覚えてないけど)、帰るとき駐車場へ向かい道中で母親とはぐれてしまいました。

いや、はぐれたとも言わないかもしれません。一時的に見失っただけです。実際、声の届く範囲にいましたし。

でも、5歳の管理人は見失ったまま、それに気が付かず、いるはずだと思い込んだまま母親に話しかけていました。

「これ『ばす』って読むねんで!!」

・・・路面に書いている白線の文字ですね。

 

当時、やっとカタカナが読めるようになった時期でした。いつもバスでの通園をしていましたが、母親が保育園に直接来てくれて、一緒に帰れる日。テンションが上がってたんだと思います。周りは全く見えていませんでした。

「もうカタカナ読めるんやな〜」

 

そう返してくれたのは、偶然道中一緒になった、友達のお母さんでした。

 

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びっくりして、一瞬思考停止しました。

あれ、今自分は誰に話しかけたんだったか、と。一緒にいたはずの母親はどこだ、と。

 

幸い、すぐに気がついた母親に呼ばれ、迷子になって泣き叫ぶとかいうベタベタの展開は回避しました。しかし、この小さな出来事を、なぜかずっと引きずっている管理人です。無駄なところで発揮される記憶力に中指を立てたくもなります。ふぁっきん。

 

20年以上、ずっとあるのは羞恥心です。友達の母で顔見知りとはいえ、人違いするとか。恥ずかしすぎる、と。

多分、先生を「お母さん!」と呼んでしまったのと同じ類の羞恥だと思います。自分で言うのもなんだけど、どう贔屓目に凝視しても、大したことじゃないわな。。

 

それでも、こんなしょーもないことでも、20年間引きずるぐらい、当時の管理人には強い感情だったようです。

 

 

 

忘れられないのは「忘れるな」って自分に言い聞かせてるから

起こったことは確かに、自分の母親と友達の母親とを間違えて声をかけたっていうしょーもない話です。でも抱いた感情の大きさが問題でした。

 

人違いをした羞恥心、一瞬で沸いた不安感。そしてその後すぐに訪れた安堵感。

それらの強い感情を、当時から処理できていなかったんです。

 

よく「心の傷」みたいな言葉が使われるように、強い感情は自分の心に傷を残すんですよね。本来であれば、心の傷は外傷と同じく、いつの間にかカサブタになって塞がっていくものです。しかし、例外として傷が癒えていかないケースもあります。 

 

そのケースって、だいたい自己暗示です。自分自身がずっと耳元で囁いているのです。

「絶対にこの傷を忘れるな。忘れたらきっと大怪我するぞ」ってね。

 

治りかけている傷に再び爪を立て、生傷へと戻す。その作業を他でもないあなた自身が、無意識のもとでやっているんですよ。

 

・・・意外ですか?

 

 

失敗を忘れないうちは、大失敗をしない

昔から「喉元過ぎれば、熱さ忘れる」って言葉があります。

 

まさに言い得て妙で、人間は一度痛い思いをしたことでも、その痛みをすぐに忘れてしまうアホな生き物です。

でも、そんなアホでもまさに熱い思いをしている最中に、石焼ビビンバを押し付けられたら「ちょっとタンマっていってんだろ殴るぞ」って流石に思いますよね。

常に痛みを感じておくこと。それはアホな人間という生物が、一番確実に痛みを回避できる状況なんですよ。

 

あなたの無意識は、あなたが致命傷を負わないように、小さな傷にいつまでも爪を立て続けているのです。 

 

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管理人の場合、デフォルトモードがぼんやり一択とか、テンション上がった際の周りの見えなささが異常とか、ろくに確認せずに色々進めてしまうとか、そんな属性があります。

そんな常時うっかりな鳥頭が、これ以上気を抜いていたら、確かにトラックの一台や二台、ぶつかってそうです。後は、本気で親とはぐれてしまうとかですかね。

 

そんな、あるかもしれない未来を回避するため、あなたの無意識が一生懸命働いているのです。いつまでもズルズル引きずってしまう思い出は、きっとあなたに必要なものだったのでしょう。

 

 

今日の失敗は、明日の自分を守る盾になる

ちょっと精神論のような話になってしまいますが、過去の失敗を引きずってしまう人は、自分の無意識が自分を守ってくれているんだ!って思ったら、少し見方が変わるんじゃないかなって思うんです。

 

少なくとも、管理人は変わりました。

 

だって、自分がこうして大人になる一方、とある場所で立ち止まり、自分を守ることだけを使命に頑張る片割れがいるってことですよ。霧雨が降る森かよ、泣けるわ。

今まで引きずらなければいけない過去を疎み、忘れたいと願い、苛立ってきたけれど、その対応自体が間違っていたと今になって思います。

 

そんな過去については、向き合って、何の警告か把握した上で、感謝し忘れてやること。もうその痛みから卒業してもいいんだ、ありがとうって言ってやることが必要だったんです。

 

なんか亡霊みたいですねw

疎み、やっかみしていても、何も変わらずそこにい続ける。でも敬意を払って成仏させてあげれば、自分の守護霊フラグが立つやつw 

 

 

失敗に向き合って乗り越える

過去を乗り越えてどうのこうのって言葉はよく聞きますが、こういうことかもしれませんね。忘れたいって思っているだけでは忘れられず、辛いことを覚悟して、その記憶と向き合ってはじめて一歩進めるのかなって。

 

今まで「過去を乗り越える」ことの意味ってイマイチわからなかった管理人です。でも今回考えつつ、5歳の自分と対峙して感謝の念を抱き「過去と向き合う」ことがどういうことなのか、わかったような気がします。

 

直視するのが嫌だからと目を背けているうちは、確かに乗り越えられないかもしれませんね。実際、アホな管理人は20年以上かかりましたから。

 

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あなたが向き合っている失敗がどんなものかはわかりません。

でも、それはあなたをいたずらに苦しめる壁ではなくて、あなたを守る盾なのかもしれません。

 

この間、読んだ本にこんなことが書いていました。

失敗は誤魔化そうとすると「後悔」になりますが、ちゃんと向き合えば「教訓」になります。

 

 

ほーん、なるほどなーっ思いました(粉ミカン)

悪いのは、失敗を引きずっていること自体ではなくて、その失敗と向き合わないことなのかもしれませんね。