先日、こんなツイートがバズったようですね。
この阪急の広告のイヤなところは逃げ切った世代の人が現状を理解せずに発言してるところ。この半額が俺たちの標準だ。 pic.twitter.com/OETkqHW1fN
— kenkirihara (@kenkirihara) 2019年6月9日
・・・言いたいことはめちゃくちゃあります。
最近の若い働き世代は、その半分の給料で、労働時間12時間のブラック企業に勤めてるぞ、想定している現実が甘すぎやしないかこのヤロー。だったり、こんな想定でいたら「なんで子供を作らないの、バカなの??」って疑問もそりゃ出るだろうよ。だったり。高度経済成長やバブルを経験した世代と、そうでない世代には金銭価値や、仕事感に違いが出るのも当然だなーだったり。その埋まらない差はこの際仕方ないとして、だったら口出ししてくるんじゃねーよ。だったり。
そりゃもう、言いたいことだらけですよ。
他にも、この詩?の中に、日本固有の仕事観が満載な気がしたので、今日はそのお話です。
仕事の報酬は犠牲にしたものの多さで決まる?
この文章を書いた人は80代の方のようですね。この詩の作者も、だいたい太平洋戦争の直前に生まれ、戦後の日本の様子に呆然としつつも、そこから必死に働いて日本を立て直した一人だと思います。
そんな人たちの働き方の価値観って「全身全霊を仕事に捧げるべき」みたいな考え方じゃないですか。
世の中は終身雇用の風潮が確かにあって、一回大企業に入ったらそのあとの人生は、会社が保証してくれている。会社にいるだけで給料が上がり、部下が出来て、子供を作って、家を建てても問題ないような生活ができたと聞きます。その代わり、プライベートや家族を後回しにしてでも会社に忠義を尽くすのが当然。サービス残業や休日出勤も当たり前で、丁稚奉公みたいにその会社の一部として働く。
そんな風潮の中で作られた価値観なわけですよね。
その価値観の中で、給料をたくさんもらえる人っていうのは、どんな人でしょうか。
それは、より会社に貢献したと考えられている人です。もっと噛み砕くとそれは、より会社のためにたくさんのものを犠牲にした人のことです。
会社に平日のすべての時間を捧げ、終業後の時間も捨て、休日も捧げ。。こうやって自分の人生ごと会社に捧げられるような人が評価されていました。
これが前者の「50万もらって毎日生き甲斐のない生活を送るのか」の部分ですね。
逆に、家族やプライベートを優先したり、自分のやりたいことを求める人は、前者ほど会社に魂を売っていない人って言えるわけです。
これが後者の「30万もらって仕事に行くのが楽しみで仕方ないという生活を送るのか」の部分。・・・これだと言うほど「楽しみで仕方がない」ってわけではないのかな。「楽しい」ではなく「辛くない」って色の方が強いかもしれませんけど。。
要は会社にどれだけのものを捧げられたかで、給料が決まった時代だったということです。
50万とか30万とか、金銭感覚もツッコミどころは満載でしたが、一番突っ込むべきところはこの「犠牲にするものの多さで報酬が決まる」と言う価値観だと思うんですよ。
平成と昭和の仕事観の違いとは
思えば職場で生じている平成と昭和の人のいさかいだって、この価値観が原因で起こっているわけです。
昭和の人は「これぐらいの時間は会社に捧げるべき」って価値観があるんですよね。終業後の飲み会とか、サービス残業とか。
でも平成生まれはそうは考えられないんですよ。「そもそも会社とは雇用契約を時間単位で交わしているはずですよね?それ以外の拘束は契約違反ですよ?」って。
これは会社への信用度が薄れていっているから起こることです。
会社がその後の人生を保証してくれているなら、社内政治とか、部署の雰囲気とか、この会社でしか役立たないスキルとか、諸々のものに時間をかける合理性も(考えようによっては)あると思うんです。
けど、どうせいつまでこの会社にいるかわからないって思うと、今の部署やチームの人だって、たまたま居合わせただけの人にしか思えないわけですよ。昔みたいな仲間意識が芽生えるかどうかは「人による」としか言えない感じですね。
「最近の若者がめちゃくちゃ淡白なのは、会社のせいだ!!」ってヒステリックにいうつもりはありませんが、若者は若者で、昔の価値観を採用する合理性はないと判断するから、自分たちの都合を優先するわけです。そんな価値観の違いによって摩擦が生まれているんでしょうね。
どっちが悪いとか、どうするべきとかではなくて、仕事観の違いは、時代の風潮が違えば、必然的に変わるってことです。
会社ではなく「成果」を信用する世代
最近の若い世代の価値観は、会社への信頼のなさから生まれていると思います。
将来年金が保証されているとは考えておらず、60歳まで頑張って、そこから第二の人生〜みたいなお花畑脳にはなれません。好景気を知らない世代として生まれ、楽観視はどう足掻いてもできない、ちょっと苦労性なところがありますから。
今の若い労働者は、二分化していると思っています。
一つは、そんな社会の中で生きる為に、会社に属し最低限の成果を収め、組織にぶら下がって生きていく人。
もう一つは、そんな社会でうまく立ち回る為に、自分の市場価値を上げようとする人。
前者はクズ系、後者は意識高い系ってやつですね。
中には、上記の価値観を持ちながら、ブラック企業に入ってしまい、激務せざるを得ない人もいますが、考え方としては組織を主体にしていないんですよね。
このブログでも散々書いている通り、仕事で大事なのは「成果」です。
会社が自分に求めている機能を果たし、会社の利益獲得に貢献できればそれでいいわけです。その過程で寝てようがサボっていようが、不眠不休で頑張っていようが関係ないです。
120%の力を出して、100の仕事をする人と、50%の力を出して、200の仕事をする人であれば、後者の方が貢献度は上なわけですから、そりゃ給料も高くなるわって話。時間当たりの生産性も後者の方が上ならば、今は後者の人の方が好まれる社会だと思っています。
何に違和感を抱いているかと言うと「成果」以外のもので報酬が決まってしまう世の中を日本が今まで作ってきたことなんですよね。。
本人が遊んでいるだけだっとしても、結果的に人を集めることができれば、それは広告として活用されるものになる。それがYoutuberってやつで、血反吐吐くほど努力をしている人が、普通に遊んでいるやつに負けるような、そんな社会が来たってことなんですよ。
いい加減、若い世代で気が付いていないやつは重症だし、老年世代にも今の若手を褒め称えろとは言わないけど、自分たちの考え方を押し付けて邪魔しないで欲しいって切実に思うわけです。
まとめ
今の時代、捧げたものが報酬として返ってくると考えている人って少なくなっているんじゃないですかね。いくら頑張っても、自分で掘った穴を埋めるような仕事を繰り返している人に「頑張っているんだ!」ってアピールされても困るっていうか。
だから月収10万の仕事でも辛い仕事って山のようにあるし、月収50万稼いでいる人でも楽しんで仕事をしている人はいるんです。安い月給の方が楽とか、高給取りの方が働いているとか、そんな前提がそもそもないのに、どっちがいいかなんて考えても意味がないんですよね。
80代の人たちと、今の若者に価値観の違いがあるのは当然として。
今の若者は、こんな言葉を鵜呑みにせず、炎上させるぐらいでちょうどいいんだろうなーって思いました。