「仕事が出来なさすぎて辛い」
そんな思いから、来世貝になりたいほど落ち込むときってありませんか?
仕事を楽しくこなせるようになるには「できる人」になることが重要な要素なのかもしれません。だからこそ「できるようになりたい」という思いが強い人ほど、ぶちあたる壁だと思います。
今回はそんな人がしている勘違いについてです。
仕事ができないとは
新人の言う「仕事ができない」とは、大きく3つあります。
1つ目、言われたことを言われたとおりにアウトプットすることができない。
2つ目、言われたことを把握することが出来ない。
3つ目、アウトプットの速度が遅い。
他に、成果が出せないことも仕事ができないうちに入るかもしれません。しかし、新人のうちはそれ以前の業務が滞ることも多いので、一旦除外します。
上記3つは指示を守ることが出来ないという共通項があります。
要は新人のうれいている「仕事ができない」は、「言われたことがそのままできない」ことなのです。
できないことに耐性がないとされる若い世代に「こんなこともできないのか」という言葉は深く心を傷つけるものです。たとえ、そんな言葉を投げかけられる機会はなくとも、自分自身が「こんなこともできない状況」を許さないのです。
それでも、あえて言いましょう。
新人の言う「仕事できなくて辛い」の根っこには、「過信」なのです。
「わかった」だけで「できる」わけない
体操の内村選手の演技を見たことありますか?
あれ、すごいですよね。同じ人間なのに絶対真似できないであろう動きを平然とやってのけます。アスリートのすごさが身にしみて分かります。
それをどうやってやってのけるのか説明を受けたとします。
「どうやってんのかわかった?」
「おかのした」
「じゃあやってみて」
「・・・うん、無理!」
話を聞いてわかることと、実際にできること。
それらの間には深い溝があります。
彼らが人間離れした大業をやってのけることが出来るのは、「聞いてわかったから」ではなく日々の鍛錬の賜物です。
な ん で 聞 い た だ け で で き る と 思 っ た
「わかる」と「できる」は違うから、できないのは当たり前
揚げ足取りのように聞こえるかもしれません。けれど、わかることと、できること。この差異を認めることからはじめてみましょう。
わかること=できること、ならばアスリートは誰も鍛錬しないでしょうし、受験勉強なんて存在しないはずです。
「わかっているからできるはず」っていうのは一通りの授業を受けただけで受験会場に送還されるようなものです。それぐらい舐めたことをあなたは至極当然だと思っていて、「それが自分にはできない、辛い」なんてあんぽんたんなことを抜かしているのです。
それを認めないと、自分に対する間違った絶望感から抜け出すこともできず、現状を受け入れられぬままです。